タナカ ダイスケのショーにモデルとして登場した橋本愛
Image by: tanakadaisuke
先日、写真を中心に研究?執筆している村上由鶴さんとファッションフォトにおける美意識について話している中で、興味深かったことがある。これまで基本的に、ファッションフォトは完成された最高の一瞬を残すのが美学とされ、その状態こそが撮影現場に関わっているプロフェッショナルの醍醐味であった。どんなにその裏側で枚数を撮影していようと、加工していようと、その裏側で起きているプロセスを明かすことはタブーとされてきた。しかし、近年あえて加工の痕跡がわかるような自らプロセスを明かす表現が増えてきているというのだ。
その美意識の変化は、フォトグラファーだけではなく、ランウェイでの表現にもあらわれている。本来ランウェイはその場に招かれたお客に向けてのエクスクルーシブで神聖な儀式の場として使われてきたが、コレクション誌の登場、そしてSNSでのライブ中継やSee Now Buy Nowにより徐々に開かれることで、(鶏が先か、卵が先かという話のように)オーディエンスの等身大としてストリートキャスティングのモデルも多く登場し、パンデミックの影響でついにパブリックへと変化を余儀なくされた。むしろ、ショー開催までのInstagramでのカウントダウンやセレブリティによるガイドツアー、開催後のバックステージイメージやInstagramでのタグ付けなど、ランウェイの裏側を公開していくことにデザイナーは積極的になってきている(もちろんそうではないデザイナーもいるのだが)。とはいえ、すべてがそのままリアリティなわけではなく、やはり24時間直視しようと思えば見れる現実に疲弊するいまだからこそ、嘘のない程度の少しのファンタジーに人々は魅了されているように感じる。
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もうきらびやかで完璧な世界は必要はなく、現実感を内包した緊張感のある生っぽさこそがランウェイに求められているのではないだろうか。もっと言えば、ショーの映像のクオリティも格段に上がっているなかで、会場で体感したいと思わせるランウェイの独自性も問われているのだ。
まさに現代のランウェイならではの世界観を体現してみせたのが、「タナカ ダイスケ(tanakadaisuke)」と「ピリングス(pillings)」だった。
今回「浪漫」をテーマにデビューショーを発表したtanakadaisuke。これまでにアーティストなどの衣装を手掛け、コロナ禍に発売したさくらんぼの刺繍のマスクやトートバックで話題を集めてきたことから会場にも多くの根強いファンによって熱気を帯びていた。
「おまじないをかけたようなお洋服で、自分の中にいるまだ見ぬ自分と出会えますように」というブランドコンセプトのとおり、ランウェイに登場した21名のモデルがそれぞれ違った個性を持ちながら、スポットライトを浴びながら会場を交差していく。複雑に四方八方とテンポ速く歩くモデルと彼らを囲むように配置された観客席は、tanakadaisukeの服をあらゆる角度から立体的に感じるための仕掛けだったのだろうか。囲み取材でこれまで発表してきたルック写真で表現してきた「ファンタジー」とは違って、「生でコレクションを見てもらう『現実感』と自分が表現したいファンタジーがマッチした」と語っていた言葉を反芻する。
Image by: tanakadaisuke
Image by: tanakadaisuke
デザイナー?田中が描く浪漫は、きっと一般的にイメージされるような非現実的で美しい幻想なものではなく、誰しもが秘めている凛とした力強さを引き出すためのリアリスティックさを持ち合わせているのかもしれない。少なからずとも「刺繍」という言葉自体、トゲを持った繡しさ(うつくしさ)なのだから。
「TOKYO FASHION AWARD 2022」に受賞したpillingsのショーは、今まで発表してきたルック写真の和やかさとは打って変わって、どこかゾクゾクとする違和感があった。
会場に入るなり、目に飛び込んだのは、ランウェイに向かって逆さに緊縛されたグランドピアノだった。といっても、BGMでは軽やかなクラシックが流れ、重圧的な支配感 / 美しい音色を持ったピアノの二面性がどちらに転ぶのかまだショーが始まるまでは予想できなかった。
暗転を挟み始まったショーでは、依然として軽やかなピアノの音色が流れ、きっちりとしたヘアメイクやインナーのシャツから一見すると従来通りの「完璧な」ランウェイがつくられていたが、ニットは「不完全な完璧」だった。
pillingsは、もともと「RYOTA MURAKAMI」というブランド名で2018年にスタートしたのち、2021S/Sからニットデザイナーの岡本啓子が率いるアトリエ「K’sK」と手を組み、ニットウェアの新たな可能性を導き出している。そんな彼らだからこそできるニットウェアの「完璧」への打ち破り方は、大胆でありつつも計算されたテクニックが存分に詰まっていたものであった。
虫食いのような小さい穴からインナーが見えてしまうほどの大きな穴まで、そして緊縛されたピアノの糸と似た糸のほつれ。どれも不十分な編みのように見えるが、モデルがいつも通り整然とランウェイを歩くように、ニットも崩れることなく本来そのかたちであることを証明してみせる。かたちだけではなく、ニットに張り付く川や森の虫たち、モデルの顔にくっついている蟻たちが歩いたような痕跡や彼らの巣のようなモチーフ、そして最後のルックには天井から吊るしてあるピアノを形作る無数の蟻。一生懸命に協調性をもって集団行動する蟻たちは、皮肉にもわたしたち人間を見立てたものなのだろうか。
Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
形式上はかわいらしく爽やかに感じるのにどこかで不協和音が鳴り続ける、そんな理想の完璧さと現実のズレを感じさせる印象的なショーとなった。
パンデミック後にわたしたちがファッションに求めたリラックスなムードは、すでに変化しつつあることに気がついていないブランドがいる中で、彼らのように非現実的に感じる現実すらも受け入れる強さをもってしてランウェイで鋭く示唆するブランドこそがいまの時代と呼応できているように感じた。
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