まるでセレクトショップと見紛うような品揃えで、仙台のヴィンテージカルチャーをリードする「Utah VINTAGE USED Clothing」。すべてのアイテムに丁寧なリペア、場合によってはリサイズまで施され、独自の審美眼が貫かれた商品の一つひとつは、地元ファンを中心に、近県からの若者たちを虜に。地域密着のヴィンテージ古着で、若者にファッションビジネスへの興味をもってもらいたいという、株式会社ユタ?ティー?アイ?オー代表取締役社長の田中 潤さんにお話を伺った。
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田中 潤さん/株式会社ユタ?ティー?アイ?オー 代表取締役社長
1978年生まれ。仙台市内のアパレル専門学校在学中に、老舗のリサイクルショップ「オールドニュー」でアルバイト経験を積む。専門学校卒業後、そのままアルバイト先の企業へ就職。2005年にアメリカンヴィンテージを専門に扱う「Utah VINTAGE USED Clothing」をオープン。さらに、シルエットや仕立てにこだわったユーズドアイテムも豊富に揃う姉妹店「IORI Clothing by Utah」を展開。その後、セレクトショップの「nariwai」、山形県に「tatazumaiizumai」をオープンさせるなど、全5店舗を展開する。
― DCブランドを中心とした洋服の委託販売、買取りを行う企業に勤めていた田中さんが、アメリカ古着に興味を持ったきっかけを教えてください。
もともと古着に興味がありましたが、一番の理由は、当時、地元の先輩方がアメリカ古着を着てハーレーやアメ車に乗るスタイルがとても格好良く見えたことですね。先輩方のスタイルに刺激を受けて、プライベートでもアメリカ古着を着るようになったことでハマっていきました。
― 趣味として楽しんでいたアメリカ古着をビジネスにするにあたって、まずはどんなことから着手されたのでしょうか。
それこそ20年前は、今ほどネット検索をできるような時代ではありませんでしたから、アメリカ古着に関する知識はゼロからのスタートでした。地元でアメリカ古着店を経営されていた先輩方を訪ねては、商品買い付け時の情報を教えてもらったり、ファッション雑誌などから知識や情報を得るぐらいでしたね。
仙台にいても情報は入手できないことが分かっていましたし、地元の先輩方の助言を仰ぐにしても、そもそも具体的に何を質問すればいいのかすらわからない状態でした。そこで、それらを知るためにも、まずは現場を見に、アメリカに行くことから始めました。
― 20代という若さもあったとはいえ、素晴らしい行動力ですね。実際にアメリカに行ってみてどうでしたか。
現地でのバイイングの仕方から、買い付けた商品を日本に持ち帰るための手続き方法、現場での値段交渉の仕方、さらには日本での値付けに至るまで、商売に必要なリアルな疑問点や注意点を洗い出すことができました。
― 実際に現場を経験されたことで吸収するものがたくさんあったのですね。
現場で経験したことを下地に、先輩たちの買い付けにも同行させてもらいました。それこそ、ロスのローズボウルフリーマーケットやスリフトショップなど、それまで名前だけは聞いていたような場所へ先輩たちに連れられて、初めて足を踏み入れました。
― 国土が広いアメリカでは、買い付けにも時間、労力、資金が必要になると思います。現地ではどんな苦労がありましたか。
最大のトラブルは、何度目かのバイイングで、自分ではなくスタッフを出張させた時のことでした。サンフランシスコに着いた初日、スタッフがクルマを道路脇に駐車して近くで買い物を済ませているうちに、クルマの窓ガラスを割られて現金を盗まれるという大事件に巻き込まれてしまったのです。これから買い付けに向かう初日に、しかも現金すべて盗まれてしまったのですから。相当なダメージでした。
― やはり事業を始めるには、トラブルや苦労はつきもの。スタート直後から順風満帆だったわけではなかったのですね。
さらに、いざ商品をお店に並べたといっても、最初はまったく売れませんでした。当時はSNSもなく、情報発信の手段といえば、雑誌に掲載されるとか口コミぐらい。それこそ一日の来店客数が1人なんて日もあったくらいでした。
― そんな苦しい時期を経て、20年以上も営業を続けてこられたのにはどんな秘訣があったのでしょう。
売れない日々が続いたある日、どうせ売れないのならと、商品をすべて自分の好きなようにリサイズして好みのテイストにリメイクしてみたんです。
アパレルの専門学校時代に、リペアやリメイクなども実践として学んでいましたし、プライベートでも、着丈やシルエットを自分サイズに直してから古着を着ていたことがありましたからね。
― たくさんのサイズを幅広く揃える、従来の古着店の営業スタイルから、サイズやフィット感を絞り込んだ形態へと大きく舵を切ったわけですね。
そうですね。当時の私は、地元で古着店を経営していた先輩方のように業界も長くはありませんでしたから、希少なヴィンテージ古着を仕入れられるような経験も人脈もありませんでした。いわゆるフラッグが立つような商品を仕入れられない以上、店にお客様を呼ぶためには、どこかで商品の差別化を図る必要があったわけです。
― リサイズ、リメイクによって商品を絞り込み、想定顧客を絞り込んだことがリピーターを作るきっかけにつながった、と。
前職ではブランド古着をたくさん扱っていましたから、いわゆるファッションブランドの商品に関する知識は相当蓄積されていました。それらのサイズ感やカラーリングを古着に落とし込むカタチで、ファッショナブルにリメイクをしていきました。
― 古着をファッショナブルに見せたことで、顧客をじわじわと増やし、地元密着型のビジネスを定着させていったのですね。
ヴィンテージの古着というと、これまでは希少性の高い“骨董品”のイメージがあったと思います。それを“ファッション古着”として捉えるように発想を転換したことが、若い世代から支持を得るきっかけになったのかもしれません。
― 現在、仙台市内で古着店を3店舗。そして、新品を扱うセレクトショップを2店舗展開するまでに事業を拡大されています。なぜ、セレクトショップを始めようと思ったのでしょうか。
最初は、古着店を始めた時と同じように、何もわからないレベルからのスタートでした。10年前でしたからネット検索などからある程度の知識を得ることはできましたので、それこそ合同展示会へ足を運ぶなど、古着ビジネスの経験を糧に、細々と準備を始めていました。
そんな折、東京出張のついでに青山の「ブルームアンドブランチ」というセレクトショップを訪れたことがありました。そこで見たジャケットがめちゃくちゃ格好よくて。そのショップのプライベートブランドだったこともあって、そのブランドを自分の店に卸してもらえないかと相談したことがありました。
タイミング良く、そのブランドが卸をスタートさせる時期とも重なり、扱わせてもらうことができたんです。それまで、商品を扱わせてもらいたくても、古着店という名刺を出しただけで、相手にしてもらえないことがたくさんありましたが、そのショップディレクターさんは親身に私の話を聞いてくれたのです。その後もその方を通じて、色々なネットワークを広げていくことができて、セレクトショップ事業を一気に加速させることができました。
― 田中さんのファッションに対する熱意が相手にも伝わったからかもしれませんね。2つの事業を成功させた秘訣を教えていただけますか。
お客様一人ひとりのニーズを的確に捉えて、そのニーズの半歩先を提案して差し上げることじゃないかと思います。例えば、いつも自転車で来店される男性のお客様がいらっしゃるのですが、その方に、秋冬用のコートが欲しいと言われたときに、ウールのロングコートを提案するのはナンセンス。ちょっと雨に濡れても大丈夫なように、ナイロン混紡の膝上丈くらいのコートをご提案して差し上げるのがベターでしょう。
いかに想像力を働かせてお客様とコミュニケーションを取れるか。ぞれぞれのライフスタイルに合わせて、“お洒落プラスα”の提案をして差し上げることが、お客様との密な関係性を築いていくには大切だと思います。
― これから古着ビジネスを始めたいと思っている若い世代に向けてアドバイスをお願いします。
SNSや動画配信サービスなどの発展により、私たちを取り巻くコミュニケーション環境は大きく変化しました。しかし、やはりリアルに人に会って、モノに触れて、洋服に袖を通してみることからの学びは、前述した“想像力”を養うことにも繋がるはずです。デジタル時代だからこそ、よりリアルから学ぶ感覚を大事にしてほしいと思います。
― 最後に、女性古着メインの「IORI Clothing by Utah」がリニューアルオープンするとうかがいました。ショップの見どころや注目アイテムなどを教えてください。
ジェンダーフリーと言われている時代ですから、今回のリニューアルを機に、レディース古着という縛りを一掃し、メンズでも兼用できるようなユニセックスでの商品展開を新たにスタートさせます。「グッチ」や「エルメス」などのバッグ類を中心に、「シャネル」や「ティファニー」、「ディオール」などのジュエリーにも是非、注目してください。
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