Image by: ipnot
SNSを眺めていると、目を奪われる作品に出会うことが時折ある。刺繍作家のipnot(イプノット)が生み出す作品も正にそれだ。糸だけで作られているにも関わらずリアルで生き生きとした刺繍作品は、一度見たら忘れられない人も多いだろう。また、コマ撮りを用いたりライティングを工夫したりと、SNSでの魅せ方にもipnotのこだわりが感じられる。「エルメス(HERM?S)」とのコラボレーションや「シャネル(CHANEL)」が主催するベストサヴォアフェールを受賞するなど、海外からの注目度も高い。高い技術力に裏付けられたクリエイション、SNSでのユニークなアイデアは一体どのように生まれたのか?
ipnot(イプノット)
フレンチノット刺繍画家。刺繍歴約10年。幼少期に祖母の刺繍に影響を受ける。独学で刺繍を学ぶうちにフランス刺繍のフレンチノット技法に魅せられ糸の粒で刺繍絵を描くようになる。稀有な刺繍として注目され17年CHANELベストサヴォアフェールを受賞。主なコラボレーションにHERM?Sとのアートプロジェクト、アマゾンプライムチャンネルUSへの出演、Instagramカンヌライオンズ映像制作など。刺繍を用いたアニメーションにも取組み、国内外問わず様々な刺繍制作に明け暮れる。SNSで作品を随時公開中。
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目次
手芸店に駆け込むほど強かった、刺繍への憧れ
ー刺繍、フレンチノットとの出会いは?
刺繍との最初の出会いは幼少期です。祖母の刺繍する姿が好きで、よく近くで見ていました。私もちょっとやってみたいなという気持ちはあったのですが何だか難しそうに感じてしまって、当時は見て満足していました。
刺繍に再び出会ったのが2012年。書店でたまたま手に取った本の刺繍に目が留まって、その瞬間に小さい頃見ていた祖母の姿や刺繍に憧れていた気持ちを思い出したんです。そしたらなんだか無性に刺繍がしたくなり、その足で手芸店に走りました。そこから刺繍にどっぷりとハマってしまって、今まで全くやってこなかったのが不思議なくらい、ずっと刺繍をしてきたかのように自然に生活の中に溶け込んでいきました。
そしてその日から3年後の2015年に現在の刺繍技法「フレンチノット」での刺繍を始めました。少し表現に行き詰まっていた時、思いきって自分の1番好きなフレンチノットステッチだけで刺繍をしてみたんです。そしたら表現が一気に拡がって。それが今の刺繍技法に繋がっています。
ー刺繍作家として活動していくことを決意したきっかけは?
イベントで初めてオーダーを受けた事がきっかけです。元々は刺繍ではなくミニチュアフードの小物などを作っていたのですが、ハンドメイドイベントに出店した時に空き時間が多かったので、暇を潰そうとブースの端っこで刺繍をしていたんです。そしたら急に人が集まってきて、そのまま刺繍のオーダーまで入って。急なことでとても驚きましたが、自分の作る刺繍に対して「どうしても売ってほしい」と言ってもらえたことが初めてだったのでとても嬉しかったんです。その出来事が刺繍作家として活動を決意するきっかけとなりました。
ー「ipnot」という作家名の由来は?
子どもの頃からの愛称を少し変えて「ipnot(イプノット)」と名付けました。小学校に入学した頃、ある女の子がシャイだった私を思ってくれてか、みんなが呼びやすいようなニックネームをつけてくれたんです。それがとても可愛くて嬉しくて、当時の感情やその子の表情は今でもすごく覚えています。そんな風に私も誰かの記憶に残るものを与えられるような作家になりたい、という想いを込めてこの名前にしました。
フレンチノットとの出会いで広がった刺繍表現
ー自身のどういう点が刺繍と相性が良いと感じていますか?
もともと絵は得意ではなかったんですが、ペンを針に持ち替えたら絵を描くことに対し苦手意識がなくなりました。針とフレンチノットの点で描く表現法が私の性格にぴったりハマったのだと思います。元々あまり器用な性格ではなく、特に選択肢が多かったり集中する対象が増えることがとても苦手で。そこで自由度の高いフレンチノットに絞ることで、苦手だったはずの多色使いやグラデーションも好きになり、表現が一気に拡がりました。やり方やツールが性格にぴったりハマると苦手だったことも容易に感じるようになるんだと、当時は発見の連続でした。
刺繍に出会う前は集中力が全くない性格だと思っていたんですが、今では嘘みたいに何時間でも集中できます。今の表現法になって、初めて自分の頭の中にあるイメージをしっかりと形にできるようになりました。作りたいものが作れるってやっぱり楽しい。刺繍は私にとって1番の表現法だと確信しています。
ー「フレンチノット」という手法を選んだ理由は?
刺繍のステッチは何十種類もあるのですが、その中でこのフレンチノットという結び玉で作るステッチが断トツで好きです。刺し心地も見た目も柔軟さも好き。小さな点が徐々に絵になっていく過程も好き。この1mmほどの小さな粒、自由度もかなり高いんです。小さく柔らかいので粒を重ねやすく、糸の色は物理的に混ぜることはできませんが、絵の具を混ぜたかのように綺麗に色が溶け合うんです。
そしてギュッと結ばれているため引っかかりもなく丈夫。仕上がった作品を自由に動かすことができ、コマ撮りのアニメーションもよく撮影しています。
Video by ipnot
食欲より先に来る"刺繍欲"
ー自身の作品の特徴をどのように捉えていますか?
糸の結び玉を何層も重ねて立体的に表現するのが私の刺繍の特徴だと考えています。「相良縫い」という結び玉を連ねる技法は昔からありますが、私の場合はその連ねた玉の上に更にまた二度三度と重ねていきます。結び玉を作ることが好きで、独自に楽しんでいたらこの表現になっていました。
ー食べ物や動物などリアリティを追求する理由は?
最近は進行中の企画の刺繍を作り続けているので写実的な刺繍が続いていますが、普段は写実的なものしか刺繍しないと決めているわけではなく、刺繍したいものを形にしています。環境次第で別の表現をしたくなることも出てきそうですが、そう思った時は正直に、ガラリと作風を変えることも厭わないと思います。自分が作りたいものを作らないと心が枯れてしまうので、作りたいと感じるものをこれからも作り続けたいと考えています。
ー「刺繍で表現したくなる」モチーフとはどういうものですか?
これは感覚になってしまうのですが、刺繍欲の湧いたものを作品にしています。どのようなものに刺繍欲が湧くのかは自分でもまだ言語化できていなくて...。ただ、刺繍欲は時には食欲に勝ることもあります(笑)。すごく好みのお煎餅を見つけたとき「美味しそう!」より先に「刺繍したい!」となり、お腹を鳴らしながらせっせとお煎餅を刺繍しています。
秋刀魚の塩焼き、伸びるピザ...リアルでユーモア溢れる作品がSNSで話題に
ーSNS投稿で意識していることは?
SNSはスクロールでどんどん情報が流れるので、その数秒の間に「糸で作ったこと+フレンチノットの魅力」を伝えられたらと思っています。完成した作品だけだと伝わらないこともあるので、使用した糸と一緒に投稿して分かりやすくしたり工夫もしています。
ーこれまで制作した作品の中で一番のお気に入りは?
「全部!」と言いたいところですが、最近作ったものから印象深いものを選ぶなら「秋刀魚の塩焼き」です。秋刀魚を焼くたびに刺繍欲が爆発していたので、やっと形にできて良かったです。あとはすごく話題にして頂いた作品でもあります。いつか機会があればたくさんの方に直接見てもらいたいですね。
ー1番時間がかかった作品は?
大きさが作業時間に比例するので、一番時間がかかったのは実物大で作った「ピザの刺繍」です。今のところ刺繍作品の中で一番大きな作品で、デザイン案も含めて2?3ヶ月程かかりました。フレンチノットの粒で下地を埋めるだけでもどんどん時間が吸い取られます。そこから重ねて重ねて...じっくりこんがりピザを焼いていく。徐々に焼かれていくピザの制作は楽しかったですね(笑)。今度は裏側も含めて立体ピザを作ってみたいです。
ー挑戦したいモチーフは?
いつか絵画作品をフレンチノットの結び玉のみで描いてみたいです。もちろんサイズも大きいもので。制作時間はものすごいことになりそうですが(笑)。
「刺繍」が持つ魅力?可能性とは?
ー作家活動の中で、嬉しかった出来事は?
コラボのお話は毎回とても嬉しいです。昔は「刺繍ができれば誰でもいい」という感じで、依頼がくることもありました。当時はよく分かっていませんでしたが、今考えると寂しいですね。今は私の過去の刺繍を見て、インスパイアされて選んだと言ってもらえていて。指名で依頼を頂けることは当たり前ではないからこそ、毎回心から嬉しく思っています。
ー作家活動の中で、悔しかった出来事は?
今の表現法に出会うまでは悔しく感じることが多かったです。作ることはすごく楽しいのに、頭に思い描いている作りたいものがうまく形にできなくて。自己分析も得意ではなかったので、自分に合った表現法を見つけるのに時間がかかってしまいました。
ー影響を受けた作家は?
現在は活動されていないのですが、バゲットやクロワッサンなどパンの革バッグを焼いて作るTORI-DORIの井戸端友里さんです。ipnotとして活動を始めたばかりの頃に彼女に出会ったのですが、それまでアートとは無縁の仕事をしていたので芸術方面で生きる彼女に多くの影響を受けました。活動を終えて10年経ちますが、作品や世界観の魅力に今も変わらず惹かれ続けています。クロワッサンのバッグは私の宝物です。
ー「刺繍」が持つ魅力?可能性はなんだと思いますか?
刺繍の魅力はたくさんありますが、道具が少ないので気軽に手にとってすぐにできることも魅力の一つ。布、針、糸、ハサミさえあれば(木枠があれば尚よし)いつでもどこでもすぐにできます。リラックスしたい時、何も考えたくなかったり落ち着かない時、パッと手に取ってチクチク。絵じゃなくても好きな詩を刺繍してみる文字刺繍もおすすめです。布を挟んだ木枠と1本の針、刺繍糸を1色だけ持ってお気に入りの場所でのんびり文字刺繍、最高ですよ。
刺繍の可能性は私も探求中の身です。刺繍というより糸で表現することを楽しんで自由に組み合わせたり質感を変えたり動かしてみたり...表現次第で可能性はどんどん広がると思っています。
ー自身の作品を通して、どのようなことを伝えたいですか?
作品に何かメッセージ性を込めて表現しているというよりは、自分が作りたいものを自由に形にしているというのが正直なところです。その時作りたいものを作り、それを見て下さった方が何かしら感じてくれたのであれば、それだけでとても嬉しいです。
ー今後の展望を教えて下さい。
「5O1embroidery」という個人プロジェクトの再開と完走に向けて、これから動き出します。これはフレンチノットでの刺繍作品を作り始めた時にスタートしたプロジェクトで、500円玉サイズの刺繍を501個作る計画です。今300個完成しているので残り201個。完成する頃にはまた新たな刺繍の表現が加わっているかもしれません。今の私ではまだ思いつくことのない刺繍表現があるのか自分でも楽しみです。
(編集 : 城光寺美那)
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