30周年を迎えた「ケイタマルヤマ」のデザイナー丸山敬太
Image by: FASHIONSNAP
「ケイタマルヤマ(KEITA MARUYAMA)」がブランド30周年を迎え、アニバーサリーイヤーを彩る「丸山百景」プロジェクトを発表した。中でも注目は、表参道ヒルズとラフォーレ原宿を会場に同時開催される「ケイタマルヤマ遊覧会」。9月14日の開幕を前に、デザイナーの丸山敬太がブランドの歩みとフィロソフィーについて語ってくれた。
目次
1. プロ野球選手の息子として原宿に生まれる
―華やかなファッションを30年にわたり提案してきた敬太さん。どのような子ども時代だったのでしょう。
父がプロ野球選手(ヤクルトスワローズの丸山完二選手)だったので、どちらかというと体育会系の家庭でした。「神宮球場が近い」という理由で原宿に住んでいて、球場にもよく連れていかれましたが、僕自身は野球に興味がなく。子どもの頃は花や蝶々、子鹿、お姫様などの絵をのびのびと描いていました。親が心配するくらいガーリーな子どもだったんです(笑)。
―動物や植物のモチーフは、今のクリエイションにもつながりますね。
好きなものの軸はずっとブレずに変わりません。でもそれがやがてコンプレックスにもなって、無理して車や飛行機の絵を描いていた時期もあります。親の心配を察して、子ども心に気を遣っていたのかもしれませんね。
―ファッションに興味を持ったきっかけは?
小学生の時に見た「資生堂」のCMをきっかけに、山口小夜子さんを好きになりました。当時、実家の近くに山本寛斎さんのブティックがあって、そこでも小夜子さんの写真を見掛けることがあったんです。当時小夜子さんは世界を席巻するトップモデル。小夜子さんが載っている輸入雑誌をラフォーレで買いあさって、パリのデザイナーやブランドのことを知りました。自分にとってはミューズの一人。小夜子さんに出演してもらった1998年秋冬のショーは、僕の中で宝物です。
2. 「ケンゾー」のショーを見てデザイナーの道へ
―ファッションデザイナーで憧れた人はいましたか?
子どもの頃に賢三さん(KENZOの創設者 髙田賢三)のショーをTVのワイドショーで見て「こういう仕事がしたい!」と強く思いました。彼の作る服は華やかで、多様性そのもの。直線的なカッティングで、様々なサイズや人種の人が着られるデザインでした。楽しさと明るさにあふれるクリエイションからは「人生を彩るものがファッションだ」ということを一番に教えてもらった気がします。僕は人生をエンジョイする「JOY(喜び)」という言葉が好きなんです。
―大学を一年で退学し、賢三さんの出身校でもある文化服装学院に進みました。
学校で服作りを習って、自分の作った服を着てクラブなどにも行きました。夜遊びしているうちに「面白いね」と声をかけられたり、大人の知り合いが増えていくと、そのうち衣装制作を頼まれるようになりました。小泉今日子さんや浅香唯さん、CMの衣装など、学生ながら「いい仕事」をたくさんさせていただいたと思います。まだ日本が裕福で「バブル」と言われた時代で、社会もおおらかだったんですね。
3. ドリカムの衣装デザイナーになる! という夢
―学生時代に衣装デザイナーとしてキャリアが始まったんですね。
卒業後、一度パリに賢三さんに会いに行った後も、「アツキ オオニシ(ATSUKI ONISHI)」というブランドで働きながら内緒で衣装制作を続けていました。終電まで会社で働いて、それから朝まで寝ずに衣装を作る、という日々の繰り返し。その当時、僕が大好きだったのは、デビューしたばかりのドリームズ?カム?トゥルー(DREAMS COME TRUE、以下ドリカム)。「彼らの衣装をやりたい!」とあちこちで言い回って、彼らの来る店に自分のポートフォリオを預けていたら、ついにつながることができて。「ワンダーランド(1991年から4年に一度に行われている史上最強の遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND)」という大きなライブの第1回目から関わらせていただくことになりました。
―そこから敬太さんとドリカムの蜜月が始まるんですね。
ボーカルの吉田美和さんはよくライブで「今日の衣装は、ケイタ パリス」という言い方をしてくれていました。僕が会社を辞めてブランドを立ち上げようとしているときも、よくアトリエで相談に乗ってもらっていて、「もうケイタ マルヤマ トウキョウ パリスでよくない?」という彼女の一言でブランド名が決まりました。パリなんて当時、夢のまた夢だったのに……(笑)。
4. デビューコレクションで生み出した自分の武器
―衣装デザイナーをそのまま続けることは考えなかったのでしょうか。
僕は賢三さんに憧れていたし、「このままだと自分がなりたかったファッションデザイナーになれないんじゃないか」と思ったんです。今の若い子たちは違うかもしれませんが、僕は「自分の名前でブランドをやって、パリでショーをやって、最終的には世界中で自分の名前の香水が売られる」みたいな成功イメージを考える最後の世代で……(笑)。「花椿」の編集長だった平山景子さんに相談したら、「どんなにいいアイデアでも、長く出さずに持ち続けていると腐っちゃうから何かやりなさい」と言っていただいて「よし、やろう!」と思ったのが1994年のことです。
1994年デビューコレクション
Image by: KEITA MARUYAMA
―夢への一歩を踏み出した瞬間ですね。
何もわからない中で、手探りのスタートでした。僕は物語が好きで、世界観やムードを大事にするタイプ。当初から「かわいいこと、楽しいこと」をストレートに表現したいと考えていました。まだオリジナルの生地など作る余裕もなく、生地問屋で仕入れたテキスタイルだと自分の望む「かわいさ」が出せないな、と思って編み出したのがパッチワークやアップリケという方法。それがやがて自分の武器にもなりました。
5. ファンシーじゃない独特の“かわいさ”を表現
―子どもの頃から愛するかわいいものが形になっていきました。
昔、どなたかが「ケイタマルヤマの作る“かわいい”には品格がある」と言ってくださって、すごくうれしかったんです。“かわいい”という言葉に込められている毒だったり、「ファンシー(※日本では“少女趣味”という意味で使われることが多い)」とは異なる独特の意味合いみたいなものを感じてくださって。“かわいい”と評されるのが嫌だった時期もありましたが、今は褒め言葉だと思っています。
6. たった6ヶ月で「素人」から「プロ」へ成長
―このデビューショーは敬太さんの人生においてどんな出来事でしたか。
まさに青春。若いモデルやクリエイターたちと一緒にムーブメントを作っていく感覚が楽しかったし、良いスタートを切らせてもらったと思います。やっぱりがむしゃらな時期は、すごく大事。デビュー当時のモデルたちとはずっとお付き合いがあるし、いまだに一緒に物作りをしている仲間もたくさんいます。ドリカムのメンバーも出演してくれて、当時大きな話題になりました。
―順風満帆のスタートでしたね。
でも、量産のことなど何も考えていなかったのにブレイクしてしまったから、その後は地獄でしたね……(苦笑)。お金も無くなって、ビジネスパートナーを見つけてそこから立て直す必要があり、「素人」から「プロ」へと一気に意識が変わりました。2シーズン目(1995年春夏)のショーまでわずか半年ですが、ものすごく濃厚な期間でした。
1995年春夏コレクション
Image by: KEITA MARUYAMA
7. ついに誕生したオリジナルテキスタイル
―ケイタマルヤマといえば、華やかな柄や刺しゅう。オリジナルテキスタイルはどのように生まれたのでしょうか。
この2シーズン目で、アツキオオニシに在籍していた頃に一緒にやっていたテキスタイルデザイナーの田中良枝さんに頼んで、ダリアの柄を描いてもらいました。テキスタイルが完成したときは、一人前のデザイナーになれたみたいですごくうれしかった! それ以降ずっと同じ方とテキスタイルデザインを作り続けていて、今や膨大な量の原画があります。アーカイヴとして残していきたいですし、将来的にその柄をもっとたくさんの人たちに使ってもらえたらいいな、と思っています。
8. 和の要素を取り入れた服とパリコレクション
―オリエンタルテイストも、代名詞の一つとなっています。
ブランド初期の、和にフォーカスしたコレクションで注目されるようになりましたね。洋服に下駄を合わせるスタイルが流行り、当時の新聞に「ケイタマルヤマ現象」と書かれたほど。やはり僕の中で賢三さんの存在が大きく「賢三さんとは違う、和の表現の仕方をしたい」という気持ちもありましたし、「早くパリで発表したい」という思いも背景にありました。
1997年春夏コレクション
Image by: KEITA MARUYAMA
―1997年からパリコレクションに進出しました。印象的だったシーズンは?
2000年秋冬の「FUNNY FACE」は、50年代のフレンチシックに憧れた日本の女の子たちの模倣とかわいらしさ、というのがコンセプトでした。それがどう伝わるのかと不安だったのですが、パリのジャーナリストやPRの方々が「日本のおもちゃ箱」「すごく日本的」と表現してくださって「ああ、何をやってもちゃんと僕らしさを感じてもらえるんだ」と、肩の力が抜けたのを覚えています。
2000年秋冬コレクション
Image by: KEITA MARUYAMA
このスカートは、アップリケの手法でパリと東京の夜景を対比するように描きました。ちょっとした装飾もかぎ針編みだったり本当に細かい手仕事で、「なんでここまでしたんだろう?」と過去の自分に驚くこともあります(笑)。
9. 人生に寄り添い、何世代も受け継がれる服
―オリジナリティあふれるアーカイヴは今見ても新鮮ですね。
うちのお客様が以前こんなふうにおっしゃいました。「敬太さんの服って骨とう品と同じだと思っているの。今はもう着なくなった服も、大事にとっておいて次の世代に渡したいのよ」と。それはすごく素敵な考え方だな、とありがたく思っています。僕が作った服が誰かの人生と重なり合ったとき、物語が生まれます。なんでも簡単に捨てられてしまう時代ですが、その物語が語り継がれ、服がさらに次の世代へと渡っていってくれたらうれしいです。
―服が紡ぐストーリーは、人の一生より長いのかもしれません。
いつか自分の人生が終わってしまっても、どこかで物語が続いていってほしいですね。昔、占いで「大丈夫、あなたのブランドは200年続く」と言われたので、僕はそれを信じています(笑)。
―あらためて敬太さんのファッション哲学とは。
僕自身は「だれかの人生に寄り添いたい。それが幸せな瞬間だったり、幸せな思い出だったりしたらいいな」と思って物作りをしてきました。30年やっていると、そういうご褒美みたいな瞬間が本当にあるんです。ファッションは「刹那的だからいい」という側面もあり、資本主義の象徴とも思われがちですが、僕はもっと心に寄り添う瞬間が作れたらと思います。
10. 「ケイタマルヤマ遊覧会」で伝えたいDNA
―30年目のアニバーサリーイベントは原宿をメインに開催されますね。
「原宿」というのを一つのキーワードにしたのは、僕がこの街で生まれ育ち、同時にこの街もファッションと密に関わり合いながら育ってきたと思うから。最近は冗談で「僕はシティボーイなので」なんて言っていますけど(笑)。やはり自分のアイデンティティの一つとして、この街でやりたいと思いました。
―どんな思いを込めて企画されたのでしょうか。
僕が上の世代から見せてもらったものや、たくさんの人に携わってもらいながら創ってきたものが、次の時代に渡っていってくれたらいいな、という思いです。僕のDNAが世代や時空を超えていく30周年にしたいと思っています。
―キュレーターは山口小夜子さんの展覧会も担当された、東京都現代美術館の藪前知子さんですね。2会場それぞれのテーマは?
ラフォーレ原宿では「コスチューム」をテーマに展示します。衣装制作はクライアントワーク。アーティストが何を考えて、どういう表現がしたいか、というところをサポートするチームの一員としてデザインします。僕はこれまで千本ノックのように様々なコスチュームを作ってきて、改めて自分の原点だなと思いました。もちろんドリカムの衣装も展示します。「神は細部に宿る」と言いますし、ディテールなども近くで見ていただきたいです。
史上最強の遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2023
Image by: ??DCTentertainment Inc.
もう一つの表参道ヒルス?では「ファッション」をテーマに、僕自身の物作りにフォーカスします。アトリエを再現して、インスピレーション源やデザイン画などを展示するほか、テキスタイルの原画やパターンのトワルなども並びます。その先にはそれを着てくださった人たちの写真を飾る予定。やっぱり30年って長いじゃないですか。そんな長い間、大切にされてきた服があるとするならば、その物語を書けるのは僕しかいない。「ケイタマルヤマの服がどう旅していったか」をたどる展覧会にしたいと思います。
―最後に若きクリエイターたちへのメッセージをお願いします。
僕は物作りをする際、自分の好きなものや、自分の心の声に対して素直でありたいと思っています。そうしていれば絶対に答えが見えてきますし、そういう物作りはやはり人を感動させると思うので。「だれかのために」「何かのために」という目的をちゃんと持ちつつ、自分のやりたいことを重ね合わせる物作りができれば、世の中は美しくなるんじゃないでしょうか。
あとは諦めない、妥協しない。「こうじゃなきゃファッションじゃない」なんてものはありません。様々な表現があっていいし、「好きなものを好きなように、形にしていくのが正解」ということを次世代の方に伝えられたらうれしいです。
??ケイタマルヤマ遊覧会?表参道ヒルス?
会期:2024年9月14日(土)?2024年9月23日(月)
会場:表参道ヒルス? 本館B3階?スヘ?ース オー
所在地:東京都渋谷区神宮前4-12-10
??ケイタマルヤマ遊覧会?ラフォーレ原宿
会期:2024年9月14日(土)?2024年10月6日(日)
会場:ラフォーレ原宿 6階?ラフォーレミューシ?アム原宿
所在地:東京都渋谷区神宮前1-11-6
photographer: Hikaru Nagumo, edit & text: Fuyuko Tsuji, project management: Ryota Tsuji(FASHIONSNAP)
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