
Image by: Ryo Yoshiya
後藤愼平が手掛ける「エムエーエスユー(MASU)」が、2023年1月に開催した「マス ボーイズ ランド(MASU BOYS LAND)」以来となる顧客向けイベント「SECRET BOX」で2026年春夏を発表した。パリでの展示会を控えた6月20日。正式な告知は6日前、しかも平日開催にもかかわらず、会場であるGARDEN 新木場 FACTORYには500人以上ものMASU BOYSが来場。黒い秘密のボックスを想起させる設えは、天然無垢の木材を使用することにこだわり、職人の手仕事によるインテリアを展開する「ワンダーウッド(WONDERWOOD)」との協業によって生まれた巨大な丸太をキャットウオークに見立て、フィッティングルームやヘアメークエリアを客席から見えるように設置。開演前には、リハーサルも兼ねてメディア公開用のルック撮影が行われ、本番さながらに後藤、ランウェイフォトを担当したフォトグラファーの飯塚康平、ブランドの内部スタッフがイヤーモニターで照明やモデルの歩き方、アクセサリーの持ち方などを細かく調整。
開演前、後藤は「どのようなイベントになるか、僕もスタッフも想像できない。大まかな決め事、約束事だけを共有して、イベントの指標を明確に設定しないのもコンセプトの一つ」と語っていた。SOHKIの陳晨社長は「6月のパリでの展示会も控える中ではあったが、2025-26年秋冬を終えた段階で後藤君の頭の中には既にこの催しの構想があったと思います。最初に聞いたのは2ヶ月前くらいだったので、準備に時間をかけることができました。彼は内部に対してオープンマインドなので、常に自分の考えていることをシェアしてくれています。そういう意味では現代的なデザイナーだなと常々感じています」と語っている。
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「エムエーエスユー」の東京やパリでのショーでは、クリエイティブディレクターや演出家、ビデオ制作陣を始め、ファッションブランドのチーム作りにはなかった総合力の強度に定評があったが、今回は従来のチームではない体制で新作発表に臨んだ。演出はブランドの母体であるSOHKIや後藤本人も旧知の仲である関悠真(関は「エムエーエスユー」のファーストショーである2021-22年秋冬の演出チームに参画している)が手掛けている。旧知の仲といえば、後藤と飯塚は高校時代の同級生で、真の意味で苦楽を共にしてきた。これまで招待状やキーヴィジュアルの写真は、飯塚が撮り下ろすことが多く、かつて飯塚本人も「僕は自分自身の心情が写真に出やすいタイプの写真家。(後藤)愼平と近しい分、僕たちの関係性が写真に滲み出ていると思いますし、そう一面も捉えてくれたら嬉しいです」と語っていた。後藤は大きなショーの前でも楽しむことができるタイプではあるが、その近くにはいつも飯塚がカメラを構えている。ヘアのミキオやメークの山本珠世も「エムエーエスユー」での仕事は久方振りであったり、初めてだったりしたが、それを感じさせない阿吽の呼吸めいたものを感じさせた。キャリアを積み重ねているからこそ、という見方もできるが、ミキオも山本もミニマル…...それは単純な削ぎ落としではなく、アイデアや対話を凝縮させるという意味での微細な技法を手中にしているため、実験、実践を繰り返しながら後藤に対する提案が円滑であるし、後藤もジャッジしやすかっただろう。こうした親密さはチームアップだけではなく、来場者にもフラットに広がった。

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開場時間になると既に多くの来場者が日本各地から「SECRET BOX」に集まり、開演の定刻である19時を過ぎた頃に後藤が登壇。挨拶を終えると、フィッターを担当するチームスタッフが、先ほどのルック撮影同様に着替えとヘアメークを終えた順に次々にモデルを送り出し、後藤が最終チェック、そして丸木のキャットウォークを歩く、を繰り返すという単純なルック撮影でもなければ、ランウェイショーでもないプレゼンテーションが始まった。時折、飯塚がモデルの歩き方の修正をマイクを使ってリクエストし、照明も微調整していく。後藤は、自分自身で手掛けたスタイリングを微調整し、モデルに声を掛け、来場者の反応を窺う。ミキオと山本は、ルック撮影とは違う後藤のリクエストにも冷静に応えていく。その声はすべて来場者にも聞こえている。今季の主題である「in the raw」は作品群の世界観もさることながら、「ありのまま」「率直な」という意が込められていたようで、それが剥き出しとなっている状態だったが、果たしてそれにはどのような真意が込められているのだろうか。

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パリでの2度のランウェイショーを経て、記憶を遡りながら内省的になろうとも、ファッションの各領域における禁忌区域に足を踏み入れようとも、彼が思い描いた感覚との邂逅とはならなかったのか。「まだ見えない未来がある。人は本来、偶然の魔法や、予期せぬ驚きを愛することもできる」。これは今季のコレクションノートの冒頭に書かれている後藤自身の言葉である。「エムエーエスユー」のデザイナーに就任以降、シュールな展開、語り筋が奔放に脱線していく口の面白さ、眼前で繰り広げられる扇情的なエンターテインメントを持ち得て、創作の筋骨を逞しくしてきた。それにもかかわらず、彼が探しているカタルシスはいまだに見付けられずにいるように思う。昨今、無造にも幾ばくかの受け手は、作り手に「置いてけぼり」を喰らうことがある。それならばと、分かりやすい作品に分かりやすい感情移入をすることで、結局、安直にカタルシスを得る方が、一層のことスッキリするではないか。

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現在の流行に「静謐なるラグジュアリー」とか、先述した意とは異なる「ミニマル」という標語がある。本来ファッション、特にプレタポルテが引き受ける役割は「速度」すなわち、常に「新しさ」であり、一過性であり、巧拙はあるものの、速度(鮮度)を如何に美しく魅力ある価値あるモノに変換するか、そうした役割を担っている。いや、担っていた、というのが正しい。極端に言えば、服そのものでなく、ラディカルなスピードを着てもらいたい、というくらいの、急進的な気概を誇るデザイナーは今もいる。だが、それはあまりにも少数派に過ぎない。主情型の創作は最早、持ち前のオーラを持ち得なくなったのか。主知型の創作がそれに取って代わったということなのだろうか。今回、モダニスト(現代主義者)が用意した少し行儀の良い"破壊」。それは煽情的なマニフェストに代わる地に足のついた意思表示でもある。「人生は、奇跡、出会いの連続。こんな当たり前のことを忘れずに、そのひと時を愛することができる。そんな服をつくりたい。そんな体験をつくりたいと思う」。コレクションノート続きには、このように書かれており、これらは後藤のある種の願い、と捉えることもできる。

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モダニズムの起源と機能性とは表裏一体の概念である。デザインは実用性の上に成り立つ。そしてデザインは最終的にミニマルに帰着する。しかし、ミニマルといえども、そこには計り知れないアイデアと、緻密なリサーチ、時間の厚みや時間の深みが詰め込まれている。その伝でいえば、膨大な時間の観念を内包する後藤の創作概念と、上述のミニマルの概念とは等価であるべきである。ミニマル以前にモダンでなければならない。創作の熱量を傾けてモダンであることを追求すると、自ずと極限でミニマルな状態に帰結する。つまり、本来であればミニマルとモダンは同義語でなければならない。そう踏まえると、単純な削ぎ落としがミニマルとされ、それが現代的とされてしまう所以が見えてくるはずだ。

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重要な部分だけを抽出して、それ以外は捨象する。その結果、物事の本質が見えてくる。「in the raw」という主題にはありのままを曝け出し、エラーやハプニング、ライブ感を作品群の中に込めるだけではなく、それを見る受け手の視線さえも含有している。後藤の作法は、そうした行動の繰り返しを経ることで確実に前進する。自由になるために、広い視野を求めて離れる前に、近づいてディテール(服の細部ではなく、作品の世界観の全体像の細部)を見詰める。そして平凡だと思われている場所で非凡なるものを見付け出すことは後藤の常套句でもある。

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「今回のイベントはランウェイショーではないですが、それ以上にランウェイを感じられるかもしれません」。後藤は本イベントの告知時にそう発信した。その答えはコレクションノートにある「ファッションの魅力は非常に立体的で、体験的で、アナログで、偶然で、出会いであり、対話であること」という言葉に詰まっている。モダンであるからこそ、突き放さずに親密であり続けることができる。時間を定めずにあらゆる時間軸の作品群を掻い摘み、進化を加えてく。ただし、時は現在に設定する。モダンであることの意味が問われる昨今、後藤は確実に、そして自由に自らの創作を前に推し進めている。プレゼンテーションを終えると、後藤自ら大木に乗り、平日に遥々来場してくれた人たちに向けてプレゼントを用意。来場時にスタッフパスを配布し、そこに書かれている数字からランダムに当選者が発表され、壇上に上がって、後藤から受け取る粋な計らい。この時間に多くの時間を割き、時々質問に答えながら、ひとりひとりと対話を重ねる。イベント終了後には、後藤と写真を撮りたいMASU BOYSが長蛇の列を作った。前々から記してきたが、彼が描出するランド的な景観は、ファッションにおける新たな付加価値になり得るだろうし、体験を共にしながら、「僕」ではなく「僕たち」であることに執着する後藤のデザイナーとしての性質が最後まで滲み出ていた。

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