

中国でいま何が起こっているのか。「トウキョウリッパー」でデザイナーを務め、現在は化粧品会社に勤務する佐藤秀昭氏によるコラム連載「ニイハオ、ザイチェン」が再び期間限定で復活。3年ぶりの上海で訪れたのは、“淮海中路の必ず行くべき観光スポット”として知られる「メイソンプリンス(MASONPRINCE)」。90年代後半の日本のファッションシーンと重なる空気感をまとい、中国の若者文化の潮流の中で存在感を放つ同ブランドの現在地を追った。
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(文?佐藤秀昭)
?一緒に聴きたいBGM:?YEN TOWN BAND「My Way」
>>前回記事「上海で逢った魯迅とハローキティ」はこちら
「不可抗力」
中国ではここ最近、その言葉のもとで日本の音楽公演やアニメ関連のイベントが次々と姿を消している。開催の前日に幕を下ろした歌姫の公演もあれば、中国本土を含むアジアツアーそのものが全て中止となったフォークデュオのケースもあった。上海での日本のアニメキャラクターを集めたイベントでは、歌がまだ空気を震わせている途中で照明が落ち、会場には戸惑いと静けさだけが残されたという。誰かを責めるには理由が足りず、行間には埋めようのない空白だけが広がり、SNSには失望や怒り、どこか諦めに似た言葉が埃のように静かに積もっていく。
その背後には、日中関係の緊張や中国経済の減速があると語られる。空港の電光掲示板から日本と中国を繋ぐ便名が静かに消えていくのを目の当たりにし、時代が少しずつ距離をつくっているのだと実感する。
それでも、人は好きなモノや心惹かれるコトに導かれ、気に入った音に身を預ける。それらを誰かが線を引いて止めることなどはできず、そこで静かに芽吹く理解や共感は、きっと今日もあちこちで生まれ続けているのだと思う。
◇ ◇ ◇
今回、3年ぶりに上海へ行くと話すと、ニッポンと中国のあちらこちらから「メイソンプリンス(MASONPRINCE)」は見ておいたほうがいいよ、という声が返ってきた。
正直、その名前ははじめましてだったが、調べてみると、昔の名前として「エムピーストゥディオス(MP Studios)が出てきた。その瞬間、頭の中に散らばっていた記憶の欠片が、静かに一本の線でつながっていく感覚があった。それは3年前の上海で出逢った60歳のインフルエンサーの马姐(マージェ)さんが、火鍋の向こう側で、勢いのある国潮(グオチャオ:中国のブランド)として教えてくれた名前だった。「歳なんてただの数字よ」と笑う、凛とした彼女の佇まいと、炎のように揺らぐ火鍋の緋色がふいに胸の奥で重なってよみがえる。
*MP Studios
2019年に誕生したユニセックスの国潮ブランド。自社生産体制を強みに、韓国ストリートのエッセンスを落とし込んだデザインを打ち出し、手頃な価格設定と時代感を捉えた表現が評価され、SNSを起点に中国のZ世代から強い支持を獲得していたブランド。2024年5月にメイソンプリンスに改名。
あれから3年。マージェさんはいまも変わらず、上海のファッションの最前線でトップランナーとして走り続けている。






◇ ◇ ◇
夏の色がゆっくりと街路に沈み、秋の影が少しずつ長くなる10月の上海。マージェさんが出演していた岩井俊二監督「スワロウテイル」の劇中で、CHARAが演じる「YEN TOWN BAND」のグリコが唄う、風に触れた瞬間のろうそくの火のような「My Way」を聴きながら、静安寺から南京東路を南へと、ゆっくりゆっくりと下っていく。
大きな五時半の夕焼けが街の境界線を染め、身体にへばりついていたTシャツも乾き、人の波に紛れた淮海中路のネオンが夜をまとい始める。若者たちが集う「YOUTH ENERGY CENTER(TX)」の騒めきの対岸で、3階建ての古い洋館の石壁がそびえ立っている。扉の上では「MASONPRINCE」のネオンサインが煌々と連なって光っている。

*淮海中路
上海の中心的な繁華街の一つで全長約4kmにわたる通りは歴史があるフランス租界の主要道路として知られ、現在では多くの高級ブランド店やデパートが立ち並び、観光客にも人気のスポット。
このブランドは2019年、「classless fashion collective(性別や階級の境界線をほどくファッション集団)」というコンセプトのもと、Z世代のチョウ3兄妹(チウセン、チウムー、チウリン)によって深圳で立ち上げられた。彼らは若さゆえの感性をそのまま武器に、ライブコマースやSNSを使いこなし、オンライン黎明期から若い世代の支持を重ねていった。
そしてブランドは、画面の外へ踏み出す。2023年、広州の旧洋館をリノベーションした空間に初の実店舗をオープン。2024年3月には上海のメインストリートにこの旗艦店を開いた。その勢いは中国国内にとどまらず、先月には日本向けの公式オンラインストアが立ち上がり、ZOZOでの展開も始まっている。SNSを覗くと、日中のアイドルたちがこのブランドを身にまとう姿が拡散されている。
◇ ◇ ◇
洋館の入口をくぐると、空気が一段と深く沈んだ。足元には、割れた陶片をつなぎ合わせたような琥珀色の石畳。照明がそのひび割れに沿って流れ込み、薄い夕暮れの名残のような温もりが床に閉じ込められている。


1階の奥には、コンクリート柱と金属梁が交錯する大きなホールがあり、中央には未来の遊具の骨格のような噴水が置かれている。さらに奥へ進むと、フロアの中央が円形にくり抜かれ、その内部に透明なガラスの造形が据えられている。水面のように層を重ねた渦は、光を受けて静かに揺らぎ、近づくほど境界が溶けていく。


階段を上がると、鏡面と抑えた光がスニーカーやブーツを都市の軌跡のように浮かび上がらせ、「選ぶ」という行為そのものが演出されていく。踊り場にはVRヘッドセットをつけた人形が座り、現実と仮想を往復する未来の消費者像を、無言で示していた。


さらに奥のフロアでは、天井を見上げると鏡に映った別世界が逆さまに貼りついている。マネキンも服も影も、重力から切り離されたまま揺れている。視線は上下左右へと泳ぎ、布は重力を忘れた価値観の欠片のように漂う。


下から上までを歩ききったとき、胸にひとつ小さなざらつきが残った。この館全体は、時間と空間の境界線をゆるやかに攪拌しながら、ひとつの静かな舞台装置としての存在を確立している。しかし、この日常と乖離した世界の中で、ブランドとしてのひとつの顔がはっきり浮かび上がってこない。アイテムの一つひとつはミニマルで、「classless(分類されていない)」という思想が息づいており、品質も安定しているが、トレンドの流線を巧妙に辿っているからなのか、連なった服の中で残る残像は不思議なほどに曖昧に映った。
「ここでしか生まれない服」
このブランドがさらに成熟していく中で、どれだけその濃度をどのように深めていくのか。そんな静かな期待が胸に残った。




◇ ◇ ◇
今、メイソンプリンスの背中を押しているのは、中国ストリート市場の拡大だ。2024年に200億ドルだった市場は、2033年には370億ドルへ。年平均7%の成長が見込まれているそうだ。
そして、それ以上のスピードで、若者たちは「所有」より「表現」、「モノ」より「体験」を求めている。小紅書(RED)では、メイソンプリンスを訪れた投稿が毎月数えきれないほどに積み上がっている。SNSという流通網においてはこの店への来店そのものがすでに「体験」であり「表現」になっている。まさに若者の潮流の象徴のような存在なのだ。
これは3年前の上海でも同じような光景が繰り広げられていた。その景色を生み出したのが、LVMH系の投資会社から資金を受け、世界的な注目を集めた韓国発の「ジェントルモンスター(GENTLE MONSTER)」だ。






ジェントルモンスターの上海旗艦店は建物全体が現代美術の展示室のように構成され、店先には絶えず行列が続いていた。メイソンプリンスもまた、店舗そのものを「カメラを向けたくなる対象」「身体ごと没入したくなる舞台」として設計している点で、その流れを汲んでいるように感じられた。
前記事で紹介した“Z世代の巨大なクローゼット”こと「Basement FG」も、中国で高い支持を得るイタリア発の「ブランディー メルビル(Brandy Melville)」をひとつの参照点に据えながらも、ローカルの感性や消費のリズム、体型への意識に合わせて編み直されたブランドとして立ち現れているように映った。
いまの上海で勢いを放つ2つの店舗を巡って実感したのは、「ためらいのない選択」が共通する強さなのだということ。そして、そこには外資ブランドの成功事例をそのまま踏襲するのではなく、自分たちのフィルターを通して新たな国潮へと翻訳していくという方法論が脈打っているのではないだろうか。
ただ、これらのブランドのいまの勢いは、上海のファッションのトレンドの1ページにすぎず、3年後に何があるかなんて分からない。さらにそのページを塗り替えていくかもしれないし、まだ名前も知らない、見たこともないブランドが真っ白なページにすごい速さで新たな名前を刻んでいくのかもしれない。それこそが、この街のファッションだ。
◇ ◇ ◇
外へ出て、洋館を振り返る。視線を上に向けると、上階の窓ガラスの奥では投影された炎がゆらめいていた。それを眺めていると、スワロウテイルのクライマックスで、スーツケースにぎゅうぎゅうに詰まった福沢諭吉たちとともに燃え上がっていた大きな炎が思い出された。店の前には、ファッションで自分を語ろうとする若者たちが幾重にも重なっている。
そのざわめきは、いまはもう存在しないスペイン坂の先のシネマライズで「スワロウテイル」を観た時、そして1996年10月、いまはもうない裏原宿の「NOWHERE」で初めて「アンダーカバー(UNDERCOVER)」に触れた17歳の僕の耳の奥で確かに鳴っていた、乾いた導火線にパチパチと火が移る瞬間の音に似ている気がした。

17歳のときにシネマライス?て?購入した「スワロウテイル」のハ?ンフレット。いまも大切に保管している。
最終更新日:
■コラム連載「ニイハオ、ザイチェン」バックナンバー
?vol.27:上海で逢った魯迅とハローキティ
?vol.26:上海ファッションウィークで聴く2つのTomorrow Never Knows
?vol.25:3年ぶりの上海の風に吹かれて
?vol.24:3年ぶりの上海でどこにいこう
?vol.23:BACK TO THE 琥珀色の街
?vol.22:上海ファッションウィークと日曜日のサウナ
?vol.21:上海の青い空の真下で走る
?vol.20:上海でもずっと好きなマルジェラ
?vol.19:上海のファッションのスピード
?vol.18:ニッポンザイチェン、ニイハオ上海
?vol.17:さよなら上海、サヨナラCOLOR
?vol.16:地獄の上海でなぜ悪い
?vol.15:上海の日常の中にあるNIPPON
?vol.14:いまだ見えない上海の隔離からの卒業
?vol.13:上海でトーキョーの洋服を売るという生業
?vol.12:上海のスターゲイザー
?vol.11:上海でラーメンたべたい
?vol.10:上海のペットブームの光と影
?vol.9:上海隔離生活の中の彩り
?vol.8:上海で珈琲いかがでしょう
?vol.7:上海で出会った日本の漫画とアニメ
?vol.6:上海の日常 ときどき アート
?vol.5:上海に吹くサステナブルの優しい風
?vol.4:スメルズ?ライク?ティーン?スピリットな上海Z世代とスワロウテイル
?vol.3:隔離のグルメと上海蟹
?vol.2:書を捨てよ 上海の町へ出よう
?vol.1:上海と原宿をめぐるアイデンティティ
?プロローグ:琥珀色の街より、你好
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