Image by: FASHIONSNAP
絵画と比較すれば、1着の服から読み取ることができる情報は少ない。キャプションやステートメントがないファッションショーには特にそのきらいがある。ブランドとして国内では初となるフィジカルショーを行った「ワタル トミナガ(WATARU TOMINAGA)」の2023年春夏コレクションは、終演後の恒例行事とも言えるデザイナー富永航への囲み取材はなく、ショー開演前に配られた1枚の紙にも携わった関係者の名前が列挙されただけで、デザイナーの真意は謎に隠されたままだった。そうなってくると、観客は会場演出や数秒間だけ自分の前を通り過ぎていくモデルなどの限られた情報の中からデザイナーの意図を読み取ろうとする。だからこそファッションショーは、作り手と観客が共鳴し、デジタル空間では生み出すことのできない熱を生み出す。
一方で、多くの観客は主題や内容の「答え」を知りたくてうずうずする。この演出の意図は?デザインの着想源は?今シーズンのテーマは?コンセプトは?素材は? そんな中で時たま、見る者の思考を停止させてしまうような抽象度の高い服が現れたりするのだ。今回のショーで言えばそれは、動物や植物がぎりぎり認知される程度に小さく総柄プリントされたテキスタイル、山縣良和がデザインしたという大きな恐竜のぬいぐるみや、戸棚のようなものに黄色い毛が生えたスカルプチャーなどのプロップがそれにあたるだろう。「これはなんだ」という違和感を覚えるものが、一瞬目の前を通り過ぎると観客が混乱するのも仕方がない。しかしそれこそが、富永の狙いだったのかもしれない。
話は少し横道に逸れるが、アメリカの批評家スーザン?ソンタグは著作「反解釈」の中で以下のように現代における批評を一刀両断にする。
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「現代における解釈は、つきつめてみると、たいていの場合、芸術作品をあるがままに放っておきたがらない俗物根性にすぎないことがわかる。本物の芸術はわれわれの神経を不安にする力をもっている。だから、芸術作品をその内容に切りつめた上で、それを解釈することによって、ひとは芸術作品を飼い馴らす。解釈は芸術を手におえるもの、気安いものにする。(中略)芸術作品を解釈しようとしてこれに近づく習癖があるからこそ、作品の内容が存在するという幻想が保たれるのだ」
ー反解釈(ちくま学芸文庫)
要約すれば「作品の意図を考えるな、感じろ」とソンタグは説く。デザイナーの富永航は(なんとか囲み取材を実施しようと粘った)記者たちの前で「ファッションもまさにそれだな、と思う。解釈よりもまずは先に、自分が何に感動するかを考えながら作っている。正直コンセプトは『これはあの時、僕はこう感じたからこのデザインになったのかな』と後からついてくる」とソンタグの芸術反解釈論に追随した。
解釈は絶対的な価値ではないが、以上のことを考えるとファッションショーのレポートとは、ある一定の例を基に既存の枠で推し計り「別の似た何か」と比較し、追い求める作業に他ならない。加減を間違えれば、作品を矮小化することにも繋がるはずだ。芸術作品におけるアーティストや作者がそうであるように、服におけるデザイナーたちは少なからず「今まで誰も思いつかなかったものを生み出そう」と製作を続けているだろう。しかし、周囲の人間が「解釈」を行ってしまうことで、全てが等しく「別の似た何か」へと収斂されてしまうことは避けられない。そんな矛盾を抱えながら、囲み取材を行うつもりがなかった富永とソンタグに敬意を表して、本稿が解釈でも批評でもなく、あくまで個人的な所懐であることをあらかじめ断るとともに、今回のショー読解のヒントを一旦、過去に行った富永へのインタビューの中に求めることを先に表明しておきたい。
富永はしばしば「自由」にまつわる言葉を用いる。その語句は「男の子は青いもの、女の子はピンク色という世代で育ってきて、その区分がすごく煩わしかったからこそ、そういった隔たりを混ぜ合わせた服を作りたいという気持ちがいつもある」と言い換えられることもあれば「服という枠組みに限らず色々なことをやりたい」という言葉に昇華されることもあった。武蔵野美術大学在学中の留学や、卒業後の文化服装学院への進学、セントラル?セント?マーチンズへの再留学など、富永自身も自由かつ多角的にファッションを学んできた人物としても知られている。それらの事実も相まってか、会場で座席の役割を果たした高低差のある平台は遊具を、ややピンクがかった照明は夕暮れを彷彿とさせ、ショー会場は子どもたちが"自由"に遊んだ後、もぬけの殻になった夕暮れの公園を思わせた。そして何よりも、ランウェイを歩いたモデルたちの装いが、寝室に向かうパジャマを着込む遊び疲れた子どものように見えたのだ。
「今回のコレクションは、ブランドの世界観を出せるようにスタイリングにも意識を向けて作った。そんな中で、ルックの可愛さやスタイリングとしての面白さを、山縣さんやジュエリーデザインをしてくれた奥田浩太くん、ヘアメイクを担当してくれた河野富広さんと話しながら作れたことは楽しかったし、新しい発見が多かった」と富永が話すように、コレクションそのものも自由かつ戯れるように作り上げたことが伺える。
モデルが寝室に向かうパジャマを着た子どもにみえた要因には、フィナーレに大きな恐竜のぬいぐるみや、枕を思わせるクッション、布団のような反物の登場があるだろう。半透明の樹脂製シューズカバーに詰め込まれたおもちゃや、青空を想起させるプリントTシャツは子ども部屋を想像させる。また、大方キッズ用のパジャマにはイラストレーション化された花や動物、車、チェック柄などが総柄プリントされている。今回披露されたコレクション中では、それらのモチーフを写実化。パジャマという気負わない特徴と、モードファッションたらしめるデザインの間でバランスを保ち、程よいリラックス感のあるコレクションに仕上がっていた。実際に、今回新しく作ったテキスタイルは1990年代の雑誌で取り上げられた「海外のお部屋特集」に掲載されていたベッドシーツなどから着想を得たものも多いそうだ。
また、ピンクのダルメシアン柄やTシャツとかぎ編みワンピースをドッキングさせたアイテムなどからは、1990年代から2000年代にかけて流行したスタイリング「Y2K」を感じさせる。Y2Kはフューチャリスティックな要素を持ち、インターネットが浸透し始めた時代であることが取り沙汰されることも多いが「ストリート(STREET)」や「フルーツ(FRUiTS)」などのストリートスナップが、原宿などを中心に盛り上がりを見せた時代であることも忘れてはならない。富永は「自分のクリエイションにおいてストリートスナップはかなり影響を受けている。なぜならば、フューチャリズムやある種のポップさは僕が求めるジェンダーニュートラルにも繋がるものがあると感じるからだ」と話す。原宿ストリートスナップ文化は、カスタマイズに代表される様に、デザイナーではなく着用者が主体となる実験の場として機能した。つまり、消費者が着用したいように服を着る"自由さ"が担保されていた。ここでも、富永なりの「自由」の表現を感じることができた。
ブランドデビューから3年。2021年春夏コレクションでのニューヨークコレクションへの参加や、2021年春のパリコレデビュー。そして満を辞して国内で初の単独ショーを行ったワタルトミナガ。終演後、富永は「東京でも発表できる時はしたい。日本から発信していくのは日本人としてやりたいなと思う」と話してくれた。服やスタイリングによって創造される全体表現としてのファッションショーがいまから楽しみだ。
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