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時価総額が LVMH を超えた「エルメス」 2人のデザイナーが築いた不変のエレガンス

時価総額が LVMH を超えた「エルメス」 2人のデザイナーが築いた不変のエレガンス

 ラグジュアリーは試練の時を迎えている。それは、各ラグジュアリーグループの決算発表にも表れた。2024年通期の売上高は、ケリング(Kering)が前年比12%減、「ディーゼル(DIESEL)」や「メゾン マルジェラ(Maison Margiela)」を擁するOTBグループも同4.4%減と苦戦。中国経済の減速は、ファッション業界にも暗い影を落とした。

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 LVMH モエ ヘネシー?ルイ ヴィトン グループ(以下、LVMH)の2024年通期の売上高は同1.7%減。10月に発表された2025年上期(2025年1~3月期)の売上高は、為替変動の影響を除くと同1%増の182億ユーロ(約3兆1850億円)と3四半期ぶりに増収に転じたが、いまだかつての勢いは取り戻せていない。

 LVMHも抗えない波の中、象徴的な出来事が起きた。「エルメス(HERM?S)」を展開するエルメス?インターナショナル(Hermes International SCA)の時価総額が、4月15日に2436億5000万ユーロ(約40兆円)に達し、LVMHの2434億4000万ユーロを上回った。つまり一時的にせよ、エルメスがLVMHを超えて世界で最も価値の高いラグジュアリーブランドとなったのだ。

 エルメスの価値を今日まで支えてきたのは、先ごろ退任が発表されたヴェロニク?ニシャニアン(Véronique Nichanian)と、ナデージュ?ヴァネ=シビュルスキー(Nadège Vanhée-Cybulski)の2人である。

ヴェロニク?ニシャニアン(左)とナデージュ?ヴァネ=シビュルスキー(右)

人物

Image by: ?Launchmetrics Spotlight

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 シビュルスキーは10年に渡りウィメンズラインを、ニシャニアンに至っては40年近くメンズラインを率いてきた。ディレクターが目まぐるしく変わるファッション界において、両者の在籍期間は異例と言えよう。ニシャニアンの後任として発表されたグレース?ウェールズ?ボナー(Grace Wales Bonner)にも、長期に及ぶディレクションが期待される。

 ニシャニアンとシビュルスキー、この2人が築いてきたエルメスのクリエイションは、新しい才能を頻繁に起用するLVMHとは対照的に、ブランドに宿る安定感と一貫性の価値を際立たせている。ニシャニアンとシビュルスキーによるコレクションは、エルメスの「変わらない美しさ」の体現であり、変化に頼らずとも人々の心に残り続けるスタイルを提示していた。

常に新しいことが宿命のファッション業界にあって、「不変の美しさ」を打ち出すエルメスというメゾンは、なぜ愛され続けるのか。2人のデザイナーの視点とともに、その答えを探っていきたい。(文:AFFECTUS)

37年間エレガンスを作り続ける、現代ファッションの奇跡

 業績が少しでも低調になれば、わずか数シーズンでディレクターが交代する現代のファッション界で、37年もの長きにわたってブランドを指揮してきたニシャニアンは奇跡の存在と言っても過言ではないだろう。

 15歳の時、両親に服に関わる仕事をしたいと伝えたその瞬間に、ニシャニアンのエレガンスを探求する旅は始まった。パリのオートクチュール組合学校「サンディカ」(2019年にIMFと合併)を卒業後、1976年に「チェルッティ(CHRRUTI)」へ入社。同ブランドを発展させたニノ?チェルッティ(Nino Cerruti)のもとで経験を重ねたニシャニアンは、ある日、エルメス5代目会長であり、名作バッグ「バーキン」を生み出したジャン=ルイ?デュマ(Jean-Louis Dumas)からの電話を受けた。

 デュマからメゾンのテラスでの朝食に誘われ、ニシャニアンは彼が語るエルメスのヴィジョンに触れた。そしてその日から現在に至るまで、彼女は男性のためのエルメス?スタイルを作り続けている。

 昨秋、2024年10月にエルメスは東京?銀座で2024年秋冬メンズコレクションのリピートショーを開催した。このショーは、パリで発表されたメンズコレクションをニシャニアンが再編集したものだ。

エルメス 2024年秋冬メンズコレクション


Image by: ?Launchmetrics Spotlight

 色はブラックで、素材感は硬い。ハードな印象を与えるはずのコートは、凛々しさと穏やかさに包まれている。肩先がほんの少しだけドロップしたシルエットは、上半身を逞しく見せる。一方でベルトによって緩やかに絞られたウエストが、メンズスタイルに色気をほんのりと持ち込む。素材の質感と色調も柔らかで優しい。

 クラシックが主役のエルメスのメンズスタイル。だからといって、ダンディズムの極地へ振り切るわけではない。ニシャニアンは、男性の暮らしのあらゆるシーンにアプローチする。

エルメス 2024年秋冬メンズコレクション


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 時にはジャケットを着たくない日もある。そんな日に着たいのは、堅苦しくないカジュアルウェア。エルメスでは、アウトドアテイストのルックであっても、洗練されたスリムシルエットで作られていることは言うまでもない。見た目はほっそりとしなやか、しかし、身体の自由を奪うことはない安らぎのかたち。エルメスのメンズウェアは上質なくつろぎで、袖を通す男たちに静かな自信をまとわせる。

エルメス 2024年秋冬メンズコレクション


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 ごく普通のカーディガンとスラックスの装いを、アーティスティックに着たいときはないか。そんな願いにも応えるのがニシャニアンだ。シルエットはあくまで正統。だが、素材と色彩は大胆に、鮮烈に。

 熟したオレンジと、その実りを育てた雄々しい土壌。そんな自然の力を彷彿とさせるグラデーションニットは、静けさを美徳とするメンズスタイルに確かな熱を灯す。

 ニシャニアンは男性のワードローブにエルメスの美学を注ぎ込む。「着る」ことが前提となったコレクションだ。ゆえに、彼女のデザインに大きな変化はない。しかし、毎シーズン見ていると、実際はまったく同じではないことがわかる。スタイルの基本軸は保たれているが、生地や色、ディテールに微細な変化がある。そしてその変化は、意図的に「目立たない」よう設計されている。

 変化の軸は何に置かれているのか。それはスタイルのトーンだ。

 パリと東京で発表された2024年秋冬コレクションは、ベストやフードアイテム、合繊素材のアウターが発表され、エルメスの中ではカジュアルに傾いていた。

ルック
ルック

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 だが、同じ秋冬シーズンでも2025年秋冬メンズコレクションでは、アウターはテーラード系が軸になり、シャツルックも増加。クラシカルな香りが強くなる。それは決して強烈な香りではない。ほんのり匂う程度の、ささやかなアクセントだ。

エルメス 2025年秋冬メンズコレクション
エルメス 2025年秋冬メンズコレクション

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 艶やかなベルベット素材のコートとスーツは、1年前のコレクションには見られなかったもの。鈍い光沢が色気を、緩やかなボリュームが余裕を感じさせる。エルメスのメンズウェアは、静かな佇まいの中に豊かさを宿す。そこに、ほんの少しの派手さもいらない。

エルメス 2025年秋冬メンズコレクション


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 ネクタイを締めたダブルスーツが登場。ここまでの正統派スーツは1年前には見られなかったルックだ。前出のコートとジャケットとは異なり、このダブルスーツでは細身のラインが印象深い。肩のラインは弓上がりのコンケープドショルダーで、チェスト部分をワイドに見せ、肩と胸まわりを力強く映す。

 そして上半身の強さを際立たせるのが、ウエストのシェイプとパンツのスリムシルエット。極め付けは狭いVゾーンとネクタイが演出する端正な襟元。肌を見せることなく、肉体の存在を静かに、しかし確かに印象づける。そんな造形美が、男の色気を立ち上がらせる。

エルメス 2025年秋冬メンズコレクション


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 もちろん、カジュアルの気配も消えてはいない。たとえばミリタリーブルゾンは、日常の軽快さを彩る一着だ。ただし、優雅さを忘れない。首を包み込むオフタートルネックが、ネクタイを締めた姿とは異なる「穏やかな緊張感」という矛盾のエレガンスを生み出す。

 エルメスのメンズラインでは、コレクションの構成に極端な偏りはない。色のトーンを微調整するように、スタイルのトーンを微調整する。そうして完成したコレクションは、確かに全体としての印象変化がごくわずかに思えるかもしれない。

 ファッションに求めるのは、大胆な変化による刺激。そう考える人はきっと多い。だが、毎日の装いにほんのわずかなアップデートを望む人もいる。着慣れた服の形をほんの少しだけ新しく。その欲望に、静かに応えていくブランドもあるのだ。そして、そんなささやかな悦びを裏切らないからこそ、ニシャニアンは常にエレガンスの担い手であり続けてきた。

 スタイルが永く続く背景には、変わらぬ美学と、それを求める人々の声がある。ニシャニアンはその声にひとつずつ応えながら、丁寧に服を作る。それは奇跡というより、静かに積み重ねられた信頼の証と呼ぶにふさわしい。

「抑制されたマスキュリニティ」を形に、シビュルスキーのデザイン哲学

 2014年、クリストフ?ルメール(Christophe Lemaire)の後任としてエルメスのウィメンズラインを託されたナデージュ?ヴァネ=シビュルスキー。そのスタイルは、就任以来一貫している。甘さにも、可愛いらしさにも傾かない、硬質で気品あるエレガンス。それが、彼女が提案するエルメスだ。

 フランス生まれのシビュルスキーが学び舎に選んだのは、祖国ではなくベルギー?アントワープ。2003年に名門アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)」「セリーヌ(CELINE)」を経て、「ザ?ロウ(THE ROW)」には2014年3月まで在籍していた。

 彼女が歩んできたキャリアを見れば、「マスキュリンな目線」が通っていないことは明らか。しかし、華やかさやフェミニンさが求められがちなウィメンズウェアのなかで、シビュルスキーは別の可能性を提示している。すべての女性が「フェミニン」を望むわけではない。そのリアルな感覚に寄り添うのが、シビュルスキーの服だ。ニシャニアン同様、彼女もまた、マーケットの「声なき声」に応えている。

 2025年春夏コレクションは、まるで自身の手法を丁寧に紐解くように、シビュルスキーがデザイン技法を次々と繰り出している。

エルメス 2025年春夏ウィメンズコレクション


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 キャメルが上質さを際立たせるファーストルック。ボトムには柔らかなドレープと肌を透かす質感が特徴のテキスタイルを用いている。通常なら、セクシーでエレガントなルックに仕立てるところだが、シビュルスキーはハードなライダースタイプのブルゾンを組み合わせた。またインナーにはスポーツブラ型のアイテムを選択。シビュルスキーは女性性をフェミニンな手法では具体化しない。

エルメス 2025年春夏ウィメンズコレクション
エルメス 2025年春夏ウィメンズコレクション

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 直線的なシルエットを用いて、女性のボディラインをシャープに見せるのはシビュルスキーの得意とするところだ。ワークウェアからの発想も見られるディテール使いも見逃せない。最高峰のラグジュアリーブランドが作るウィメンズウェアと聞けば、優雅なシルエットの華やかなドレスを思い浮かべるが、シビュルスキーは違う。このシーズンはこのほかにジャンプスーツも登場させるなど、とことんステレオタイプな女性像から遠ざかっていた。

エルメス 2025年春夏ウィメンズコレクション


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 ともすればメンズウェアに見えなくもないアイテムとデザインだ。しかし、フロントのファスナーは曲線を描き、襟は緩やかにカーブして、胸元を柔らかに表現。このようにシビュルスキーは、服のアウトラインとディテールは硬く仕上げ、その内部で柔らかく仕上げることを得意とする。それは、女性の中に潜むマスキュリンを目覚めさせる行為とも言えよう。

 ワークウェアからの発想、ファスナーを多用するディテール。インダストリアルなデザインは毎シーズン見られる。この傾向がさらに強まったのが、2025年秋冬コレクションだった。シビュルスキーが指揮するエルメスのウィメンズは、硬いシルエット?硬い素材感に特徴があるが、このシーズンはより硬い仕上げに傾いていた。とりわけダークカラーでまとめたルックが、重厚なエレガンスを訴えている。

エルメス 2025年秋冬ウィメンズコレクション
エルメス 2025年秋冬ウィメンズコレクション

Image by: ?Launchmetrics Spotlight

 スーツの中でも、ボトムだけを気に入った女性が、それをスタイリングの軸に据えた。そんなシーンを思わせるセンタープレス入りのチャコールグレーのパンツが、クラシックスタイルの中核を成している。重めのトーンを重ねたレイヤードにより、全体はさらに重厚なムードへと傾いていく。

エルメス 2025年秋冬ウィメンズコレクション
エルメス 2025年秋冬ウィメンズコレクション

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 ファスナーやドットボタンの多用、切り替えが多いパターンメイキングの影響もあり、「インダストリアル&ラグジュアリー」という言葉が浮かぶ。シビュルスキーはラグジュアリーから遠く離れたものから、ラグジュアリーの種を発見する。

 カラフルなフラワープリントなど皆無。ウィメンズウェアの象徴であるドレスは、簡素なフォルムを基盤に、クラフト的な技巧、ファスナーを横断させたパターンメイキングなどを取り入れ、徹頭徹尾、華やかさを削ぎ落としている。

エルメス 2025年秋冬ウィメンズコレクション
エルメス 2025年秋冬ウィメンズコレクション

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 派手であること、飾り立てることから遠く距離を置いた場所。そこにあるものが、エルメスの美学だ。シビュルスキーの抑制されたエレガンスは、10年の歳月をかけて熟成されてきた。

 シビュルスキーのエルメスは、女性らしさを「装飾」ではなく、「構造」として描く。ディテールを剥ぎ取り、むしろ硬く、重く、時には制限にさえ見える衣服のラインを通じて、彼女は訴える。「この美しさを、あなたに届けたい」と。

 その姿勢はフランスの哲学者、シモーヌ?ド?ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)の言葉に通じる。ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な言葉を残した。社会によって与えられた役割や規範によって、人間は意味づけられていく。ならば、身にまとう服によっても、人間像は変わっていくのではないか。シビュルスキーの服は、「抑制されたマスキュリニティ」を形にした。

 派手さはなくとも、強く、硬く、沈黙のうちに意志を示すエレガンス。そんな試みを呼び起こすのがシビュルスキーのエルメスだ。根源的な問いが背景に潜むからこそ、彼女の服は女性たちの心をとらえてきたのではないか。

ファッションは変わるべきか? エルメスが示す答え

 「変化こそが価値」とされる現代ファッションの神話に対して、エルメスはまるで逆方向のベクトルを示している。劇的なイノベーションを追い求める波の中で、メゾンは「変わらないこと」にこそ、時代を超えた真実があると静かに語りかける。

 変化が叫ばれすぎるあまり、見失われてしまった本質。それが「変わらぬ美学と向き合い、丁寧に磨き続けることの価値」であり、これこそが時価総額でLVMHを一瞬でも超えたエルメスの強みだ。そして、この静かな積み重ねこそが、現代のファッションが見落としがちな「永続的エレガンス」のリアルな姿ではないだろうか。

 ニシャニアンやシビュルスキーが示すのは、刺激的な変化よりも、むしろ持続するスタイルの深みと説得力。おそらくニシャニアンの後を継ぎ、メンズ部門の新クリエイティブ?ディレクターとなったボナーも、同様のアプローチを見せるはず。その手法には、ラグジュアリーが本来持つ精神的豊かさが宿る。だからこそ今、私たちはファッションの根底を問い直さなければならない。

「本当に、変わり続けることは最高の価値なのか?」

 もしかすると、本当に価値があるのは、変わらないことに宿る揺るぎない美学を、時代の波に埋もれさせず守り抜くことなのかもしれない。

AFFECTUS

AFFECTUS

2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ?モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。

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